【秘話 1】エルトゥールル号の遭難
明治23年9月、日本との修好の使命を果たして帰途についた
オスマン帝国(現在のトルコの一部)の軍艦「エルトゥールル号」が、
紀伊大島の樫野埼灯台下の岩礁で難破、
580余名の殉職者を出す大惨事となりました。
難破の爆発音を聞いた大島村(今の串本町)樫野の村民たちは、
台風の中を総出で救助に当たり、生存者の介抱に当たりました。
この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、
無事に生還することができたのです。
エルトゥールル号の遭難は、オスマン帝国内に大きな衝撃を呼びましたが、
新聞を通じて大島村民による救助活動や、日本政府の尽力が伝えられ、
当時オスマン帝国の人々は、遠い異国の日本と日本人に対して、
好印象を抱いたといわれています。
【秘話 2】イラン・イラク戦争時テヘラン空港からの脱出
昭和60年、中東ではイラン・イランク戦争が勃発していました。
サダム・フセインは「3月20日午後2時(日本時間)以降、
テヘラン上空を航行する飛行機はいずれの国のものであろうと
撃墜する」と表明しました。
ヨーロッパ各国は急きょ臨時便を出して、自国民の救援に
あたりましたが、日本では外務省の救援機派遣要請に対し、
「帰る際の安全が保障されない」として
日本航空はイラン乗入れを断念しました。
在イラン日本大使館では手を尽くして各国と交渉してましたが、
どの国も自国民の救出に手いっぱいで、
日本人を乗せてもらうことは到底無理でした。
タイムリミットが迫り、日本人の国外脱出は不可能だと
思われた時、トルコ航空機がテヘランに乗入れ、
日本人215人を救出、ぎりぎりのタイミングで
トルコ領空にとって返したのです。
トルコが自国民より先に孤立した日本人を救出してくれたのは、
エルトゥールル号事件に対する恩義を背景として、
それまで時代を越えて培われてきた日本への親しみの行為だったといわれています。
トルコとの友好の証 トルコ記念館
先にご紹介した「エルトゥールル号」の遭難沈没事故以来、
串本町は犠牲者の慰霊を通じて、トルコとの友好関係を築いています。
『トルコ記念館』は、トルコとの友好の証として、
また、今後一層、日本とトルコとの親善の契りを深めるとともに、
国際的な友愛の精神を広く伝えることを目的として、建てられました。
館内には、エルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示されていて、
当時の様子を知ることができます。
また、トルコの民芸品も販売しています。
近くには、トルコ軍艦遭難慰霊碑が建てられ、
5年ごとに追悼祭が行われています。
トルコ記念館の基本情報
- 所在地:和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025-25
- 電話番号:0735-65-0628
- アクセス:JR串本駅からバスで約40分
- 休館日:なし(年中無休)
- 入館料:500円(高校生以下 250円)
- 駐車場:無料(84台)
- 公式ホームページ:トルコ軍艦「エルトゥールル号」遭難(南紀串本観光ガイド)
いかがですか?
本州最南端の町、串本。
やはり、自然のすばらしさが体感できるスポットが多いですね。
串本町とトルコの意外(?)な関係については、
映画「海難1890」で初めて知りました。
実話を基にした、心温まる映画ですし、歴史を知るという意味でもオススメです。
この映画のロケは、実際に串本町で行われました。
ぜひ、和歌山県の『串本町』を訪れてみてください。
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